100 研究系及び研究施設の現状
3-4 電子構造研究系
基礎電子化学研究部門
西 信 之(教授)
A -1)専門領域:クラスター化学、電子構造論、物理化学
A -2)研究課題:
a) 液体中でのクラスター形成による局所構造の発生と「Micro Phase」の生成
b) 分子クラスターイオンにおける分子間相互作用と電荷移動・エネルギー移動ダイナミックス c) 光によるスーパークラスターの生成と構造・反応・物性
d) 溶液中の有機分子およびクラスターのイオン化過程と構造・イオン分子反応
A -3)研究活動の概略と主な成果
a) 水は,大きな極性を持ち,それ故の高いクラスター構造発生能力を有するが,アルコールやカルボン酸などの会 合性分子を1分子単位ではなく,クラスター単位で溶解することが明らかになってきた。これは,室温の水自身 が,クラスターとなっており,相互作用する相手が(運動の力学的要請から)同等の質量あるいは体積をもつク ラスター或いは高分子であるとき,はじめて安定となることによると考えられる。低振動数ラマンスペクトルや A b Initio 振動数計算,平田グループとのRISM計算による水溶液中の酢酸分子の会合状態の研究から,水の中で は酢酸が大きな双極子を持つサイドオン型ダイマーを単位としてクラスターを形成する「Micro Phase」として存 在していることを明らかにしてきた。これは,1)溶質分子が水の中にばらまかれる時に生じる水構造の破壊を最 小限に押さえるには,溶質が集合して,出来るだけ水の構造発生に有利な広い空間を生じること,2)溶質同士 の相互作用エネルギーが最大になるような最密構造が実現していること,3)溶質,溶媒の両「Micro Phase」の 幅広いサイズ分布,構造分布の出現によりエントロピー的にも有利になるという条件が満たされるためであると 考えられる。このことは,物理学の分野で超音波吸収や誘電緩和の実験から,度々示唆されていたことであるが, 直接の証明は行なわれなかった。我々は,低振動数ラマン散乱の実験からこれをアルコール類や酢酸などの幾つ かの基本的な系で証明した。
b) タンパク質や生体の膜の中で,様々な官能基がどのような相互作用をするかは,極めて重要な問題である。我々 は,ベンゼン環とカルボキシル基との相互作用様式を,気相から調べ始めている。カルボン酸がベンゼン陽イオ ンに付加する時は,これが水素原子受容体として作用し,ベンゼン環の水素原子に平面内で2個ないし1個の酸 素原子が水素結合することが解った。特に,2個の酸素原子がベンゼン環の2個の C -H と結合する時は,カルボ ン酸の OH の水素原子はアルキル基側に向く anti- 構造をとることが,赤外光解離分光によって明らかになった。 カルボン酸が2個以上ベンゼン環と相互作用するクラスターでは,カルボン酸が環状2量体となってベンゼン環 にスタックすることが解った。
一方,電荷共鳴相互作用により安定化しているベンゼン2量体にアルゴン原子を付着させたクラスターの C -H 伸 縮振動を励起し,その解離過程を調べたところ,結合が強いベンゼン環同士が解離し,弱くしか結合していない アルゴン原子はフラッグメントのモノマーカチオンに付着したまま飛んでいった。これは,振動エネルギーの分
研究系及び研究施設の現状 101 子内移動の後,ベンゼン環同士の分子間伸縮振動は励起されるが,アルゴン原子とベンゼン環との分子・原子間 モードは励起されず,アルゴンがスペクテイターとして振る舞っていることになる。このような大きなクラスター 系でもエネルギー移動は完全には熱的に平衡になっておらず,エネルギー移動のコヒーレンスが存在している可 能性が高い。
c) 12個以上の金属原子サイトを持つ,酸化バナジウムクラスターの長球状のシェルの中に,コアとなる分子やクラ スターを閉じ込め,バナジウム原子間の超交換相互作用が最適となる構造を持つために,大きなスピンを有する 磁性分子の合成反応の開発を行っている。また,その反応機構の分光学的追跡を行うと同時に,溶液中でのクラ スター成長過程を時間的に追跡する,新しい液体質量分析計の開発を行っている。
d)波長可変フェムト秒紫外励起ピコ秒共鳴ラマン分光法を用いて,溶液中の有機分子のイオン化に伴う構造変化や 反応過程を追跡する装置を立ち上げ,溶液中クラスター内イオン−分子反応の動的過程の研究を始めている。
B -1) 学術論文
K. OHASHI, Y. NAKANE, Y. INOKUCHI, Y. NAKAI and N. NISHI, “Photodissociation Spectroscopy of (Benzene-
Toluene)+. Charge Delocarization in the Hetero-dimer Ion.” Chem. Phys. 238, 429-436 (1998).
N. NISHI, “Water and Alcohols: Searching the Nature of Mixture States at Molecular Levels,” Bull. Cluster Sci. Tech. 2, 3-7
(1999).
T. NAKABAYASHI, K. KOSUGI and N. NISHI, “Liquid Structure of Acetic Acid Studied by Raman Spectroscopy and Ab
Initio Molecular Orbital Calculations,” J. Phys. Chem. A 103, 8595-8603 (1999).
T. TAKAMUKU, A. YAMAGUCHI, M. TABATA, N. NISHI, K. YOSHIDA, H. WAKITA and T. YAMAGUCHI,
“Structure and Dynamics of 1,4-Dioxane-Water Binary Solutions Studied by X-ray Diffraction, Mass Spectrometry, and NMR Reaxation,” J. Mol. Liq. 83, 163-177 (1999).
N. NISHI, T. NAKABAYASHI and K. KOSUGI, “Raman Spectroscopic Study on Acetic Acid Clusters in Aqueous Solutions:Dominance of Acid-Acid Association Producing Microphases,” J. Phys. Chem. A 103, 10851-10858 (1999).
B -4) 招待講演
N. NISHI, “Charge Delocalization and charge Hopping in Benzene Cation Clusters and in the Liquid,” International Symposium on Molecular Clusters, Niderpöking (Germany), May 1999.
西 信之 ,「水の中のクラスター」, 福岡市民フォーラム , アクロス福岡 , 福岡 , 1999 年 8 月 29 日 .
B -5) 受賞、表彰
西 信之 , 井上学術賞(1991). 西 信之 , 日本化学会学術賞(1997).
B -6) 学会および社会的活動 学協会役員、委員
日本化学会学術活性化委員会委員 .
102 研究系及び研究施設の現状 文部省、学術振興会等の役員等
日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員 .
B -7) 他大学での講義,客員
三重大学 , 「クラスター化学」, 平成 11 年度後期 .
C ) 研究活動の課題と展望
溶液中のクラスターの局所構造の問題は奥が深く,特に機能発生との関係に重点を置く必要がある。生体系で重 要な分子が何故カルボキシル基やフェニル基或いはイミダゾール基等を持つ必要があるのかは,これら官能基間 の相互作用あるいは官能基と金属酵素部位との相互作用という観点から検討しなければならない。
遷移金属酸化物スーパークラスターの研究は,電子状態の観点から大変興味深い。単分子として磁性を示し,結 晶化できる化合物としては,Mn12O12(O2C R )16(H2O)4が知られているが,これを超える特性を出すには更に大きな ネットワークを持つスーパークラスターの合成が必要である。このための学問的基礎はまだ弱く,これから新し い手法を次々と導入し,クラスター研究の新たな道を開拓しなければならない。